藤井実彦と、台湾における「慰安婦」議論の盲点について

2018/09/12

文章:張智琦(「苦労網」記者)

翻訳:福永玄弥

先日、日本の藤井実彦氏が台南の「慰安婦」像を足蹴りした件は台湾各界に怒りを引き起こし、藤井氏に対して法的責任や謝罪を求める声が相次いでいる。報道によると、「『慰安婦の真実』国民運動」の幹事を務める藤井氏は、日本の16の民間団体を代表して台湾を訪問し、「慰安婦」像を設立した台南市慰安婦人権平等促進会に「質問書」を渡したとされる。かれらは「慰安婦」像の碑文が日台友好を妨げるものであること、それが「事実とは異なる」ことを問いただし、慰安婦人権平等促進会に対して1ヶ月以内に関連する証拠の提出と議論を交わすことを要求した。

藤井実彦氏が台南の「慰安婦」像を足蹴りした件は台湾各界に怒りを引き起こした。

「『慰安婦の真実』国民運動」が提出した「質問書」を見ると、かれらが「慰安婦」問題に対して全般に否定的な態度を取っていることがわかる。「慰安婦」とされた被害者の人数に対して疑義を付けつけるだけでなく、1996年に国連人権委員会が「慰安婦」を「日本軍性奴隷」とした調査報告をも否定している。「『慰安婦の真実』国民運動」を除く他の16の民間団体とは、「新しい歴史教科書をつくる会」や「英霊の名誉を守り顕彰する会」、「史実を世界に発信する会」、「捏造慰安婦問題を糺す日本有志の会」などの右派団体である。

その中でも「新しい歴史教科書をつくる会」は、悪名高い、歴史修正主義の右派団体である。かれらが編纂した歴史教科書は日本の植民統治や軍国主義に基づく侵略を美化し、第二次世界大戦における日本の戦争責任の潔白を装い、早くから有識者によって激しい批判を浴びせられてきた。

藤井実彦氏が幹事を務める日本の右翼団体は、驚くべき無知と道徳的良心に背かんとする立場から、日本国内で誤った歴史知識を喧伝し、世界的には侮蔑される対象となっている。今回台南に足を運び、これ以上ない傲慢な態度で「質問書」を提出し、「慰安婦」像を足蹴りにした藤井氏の行動は、すでに亡くなられた、そしてご存命の2名の台湾の「慰安婦」とされたおばあさん(阿嬤)を貶めると同時に台湾の人々の尊厳を踏みにじり、党派の立場を超えて非難されるものとなった。1

もしこれが韓国で起きたなら、ただちに外交レベルの深刻な事件に発展することが予想される。だが、情けないことに、台湾政府は積極的な抗議をおこなうには至っておらず、外交部(日本の外務省にあたる)が「平和的、理性的な方法で(問題に)臨むこと」を各界に呼びかけるに留まっている。台北駐日経済文化代表処(駐日)代表の謝長廷は、藤井氏の暴力行為を糾弾しながらも、その行為は日本人や日本政府と同一視すべきものではなく、「ネットで騒いで政治事件化しても日台関係に対して何の一助にもならない」と述べ、日台友好を壊すべきではないとしている。

藤井実彦氏はどのような問題を足蹴りにしたのか?

台湾では長らく「慰安婦」問題に対して関心を欠いてこなかったが、主要な関心は「戦時性暴力」あるいは「女性の人権」といった枠組みに基づくものであり、今回の藤井実彦氏の行動はその認識枠組みの弱みに蹴りを入れる行為となった。

言うまでもなく「慰安婦」問題の背景には「戦時性暴力」や「女性の人権」といった普遍的な側面があるのだが、これらの切り口が限界を含んでいることも明らかだ。つまり、慰安婦制度それ自体は日本の植民統治や侵略戦争の産物であって、その特殊性に目を向けた批判や追求がなされなければならないのだ。「慰安婦」問題とは本質的に「歴史認識」をめぐる問題であり、日本の帝国主義や植民地主義と切り離して考えることはできない。

日本では「慰安婦」問題は歴史修正主義的右派と左派との主戦場となり、戦争犯罪や南京大虐殺、靖国神社、朝鮮や台湾の植民統治などの歴史問題と密接に関わり合い、あるいは一連の問題群としてみなされてきた。韓国や中国では、「慰安婦」問題はやはり日本の戦略戦争や植民統治に対する清算といった歴史的背景から提起されてきた。

だが、台湾では左派の力が弱いため、全体の社会として見たときに「反帝国主義・反植民地主義」に依拠した視野や歴史的なものの見方が極度に欠けてしまっている。その結果、「慰安婦」問題は今日の台湾における主な議論の中では歴史的な視点を欠き、ある種の脱歴史化、脱政治化された「女性の人権と反暴力」の問題とみなされている。そしてこの種の「女性の人権と反暴力」といった言説は、台湾の主流派女性運動による「反セクハラ」「反人身売買」「反セックスワーク」などの保守的な言説としばしば結びついてきた。2

日本による侵略戦争の期間中、おびただしい数の女性たちが占領地や、植民地とされたところから日本政府によって強制的にあるいは騙されて戦地に連れて来られた。彼女たちは日本軍の性的欲求を満足させ、その侵略を継続させる活力として扱われてきた。戦後、幸運にして生き残った女性たちの中で勇気を持って立ち上がり、日本の犯罪を告発する支えとなったのは女性運動の功績であり、「女性の人権」や「反戦」といった枠組みの持つ重要性を私たちに教えてくれる。だが、私たちは同時に次のような問いとも向き合わなければならない。つまり、その戦争を発動したのはだれか? 慰安婦制度を設計したのはだれか? いかなる体制や社会が、今日に至るまで公的な謝罪や賠償を許さず、日本軍の犯罪行為のごまかしや否認を許容しつづけ、(日本の)右派勢力が「元植民地」に足を踏み入れて「かつての植民者」のように傲慢にも「慰安婦」像に対して侮蔑をもって足蹴りすることを許しているのか?

これらの問いから明らかになるのは、私たちが責任を求めなければならない相手とは日本政府であり、日本の帝国主義と植民地主義であり、今日の保守的な安倍政権とそれを取り巻く右派勢力であり、さらには台湾島内で日本の右派に様々に呼応してきた「日本の植民統治を愛する親日(親日恋植)」勢力である。この点が明らかになってはじめて、藤井氏の事件を通して可視化された日本の右派勢力の常軌を逸した振る舞いや、台湾社会に残留する植民地主義の問題に対して激しい批判と抗議をおこなうことが可能となるのだ。

「慰安婦」問題は「女性の人権」という枠組みをもって取り組むだけでは不十分である。この問題を解決するためには「反帝国主義・反植民地主義」の視野を打ち立て、日本の帝国主義や植民地主義の歴史を徹底的に清算しなければならない。つまり「慰安婦」問題の研究や批判を進めると同時に、植民統治の問題や第二次世界大戦の問題、「光復」や「終戦」史観などの諸問題において、日本植民者の視点に立つのではなく、抑圧されてきた台湾の人々の立場に身を置いてものを考えること。この作業を通じて、日本の右派言説やかれらが国際社会で否認してきたことに対する抵抗が可能となり、70数年前に日本軍によって蹂躙され、今日に至るまで賠償や謝罪を受け取っていない無数の「慰安婦」とされたおばあさんたち(阿嬤們)の手に人権と歴史の正義を取り戻すことができるのだ。

訳者付記

本稿は9月11日に台湾の独立系メディアで発表された記事であり、まずもって台湾の読者に宛てられた文章である。訳者である私は、台南での事件を報じた台湾発のニュースを9月9日に目にしてから、本日(12日)に至るまで、日本のメディア報道(のなさ)やtwitterでの議論を追いかけてきた。私の観察した限りでは、日本においても藤井氏の行為を擁護する声はきわめて少ないものの、それらの多くは(藤井氏の暴力的行為が)「慰安婦」像や被害女性たちに対して敬意を欠くといった理由からではなかった。むしろ、藤井氏の行動を批判する声の多くは「親日的な台湾に対して失礼である」といった見当違いの反応や、「国民党の『反日』プロパガンダに乗せられてはならない」などという、藤井氏に代表される日本の保守言説と同じものの見方に基づいた反応が少なくないことに違和感を感じてきた。

くり返しになるが、本稿は台湾の読者に向けて書かれた記事だが、文章全体に通底する怒りや批判の矛先は、「親日的」である限りにおいて「台湾」を好み、あるいは植民統治時代から現在に至るまで「台湾」を都合の良い「他者」として利用しつづけてきた日本の私たちにも向けられている。台湾の政治的歴史的背景を知らなければやや理解しづらい箇所はあるが、日本の読者にも読まれるべき重要な内容を含んでいると考え、日本語に訳出した。

翻訳と日本語版の掲載を快諾してくれた著者の張智琦と苦労網に対してお礼を申し上げる。

  • 1. 【訳者脚注】台湾の支援者運動では「慰安婦」とされた被害女性に対して日本語で「おばあさん」を意味する「阿嬤(アマー)」という言葉が主な呼称として用いられている。
  • 2. 【訳者脚注】この箇所は台湾の文脈を知らなければ理解しづらいため、補足しておきたい。台湾では1990年代後半から2000年代にかけてジェンダー主流化(gender mainstreaming)が急速に進展し、「女性の人権」や「反性暴力」「反人身売買」「反セックスワーク」が政治的に正しい「常識」として、あるいは立法や法改正を通じてそれらが制度化されてきた。筆者は、台湾社会における「慰安婦」問題への関心や認識は基本的にはこれらの枠組みに依拠していると考えている。他方、著者が指摘するように、台湾社会は日本の帝国主義や植民地主義に対する批判的な歴史観を欠いており、したがって「慰安婦」をめぐる議論が「女性の人権」の問題として語られる一方、日本の帝国主義や植民地主義の問題としては十分に語られてこなかったというのである。

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